大正6年頃の案内図右に説明文を入れました、どうやら当初は児童遊園地としてではなく、大人の社交場的な存在で
開設されたようです、大滝辺りの円で囲った印にゆめ 田村 もみじ みどりなどと記されている所は、離れ的な建屋、
右上の裏門より向こう側は鶴見総持寺、釣鐘の絵の下に雨宮銅像と記されているのは、鶴見の地へ総持寺
を誘致するのに全面的に協力した京浜電鉄の生みの親の雨宮敬次郎氏、戦時中の金属不足を補うため銅像は
撤去された、現在は台石のみ残っている、この人の働き掛けが無かったら、今の総持寺や隣接する花月園は
無かったらだろうと思うと、ロマンを感じます。
※この大正10年道しるべを使いながら、後のページを紹介しています。
資料追加 経営が平岡から 花月園株式会社へ変わった昭和9年頃の花月園たよりの案内図
資料追加 昭和11年の案内図 京浜電気鉄道時代 入り口が駅の正面となり、園内の配置も若干変更されている
昭和14年4月16日印が入った案内図
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